大豆製品のあたまの中。

気づきや学び、考えてること。頭の中にあるもの。

「考える」と「悩む」の境界線

20代前半の頃、「人は頭・心・体の3つを持っている。それぞれにおける配分をバランス良く保たないとだめだよ。君は頭における比重が高過ぎるから、心や体にもきちんと血を巡らせていくことを努めていきなさい」と、とある人に言われたことがある。

この方は私に一番最初に禅や仏教を勧めてくれた方で、その他にも色々な体験や考え方を授けてくれた今の私を形成するにあたり最も影響力のあった方なのだけど。

その時は意味がよくわからずもっと具体的に言ってくれないと、とか頭の片隅で思っていたけど最近はなんとなくわかってきた感じがする。

 

考えること

考えることは好きです。疑問に思うこと、謎を解き明かすことが好き。いつも何かしら考えているのがとても楽しい。ただ思っていたのが「考える」ことと「悩む」ことの違いはなんだろう、ということ。思えば随分長いこと、常に思い悩んでいたなーと思います。

 

「考える」と「悩む」の境界線 

今私が思う、「考える」と「悩む」の違いの答えは明確。

考える=答えを出すこと悩む=答えが出ないこと

考えてみて結局答えが出なかった時、思考の迷宮にハマってしまっていたと後々気付くんだと思う。

考えるのは好き。でもうだうだ悩むのは無駄、そう思うようになりました。答えが出ないことに時間を使うのは浪費。時間に余裕があるならば思考の海に自ら喜んで潜りに行くんですけどね。

 

考えるのは10分まで

てことで、私が今実践しているのが「考えるのは10分まで」ルール。頭に考えが浮かんだ時大体でいいから10分程はそれに浸る。

 対象に興味があるほど没頭しちゃって延々と考えてしまうけど、頭の片隅にこのルールを入れておくと自然にストップがかかる。

10分考えても答えに繋がるヒントも出ないならば、これは今出口のない迷路の入り口に立っているのかもと自覚する。それなら一先ずおいといて違うことをやっていれば、答えが存在するものならばいずれ降りてくるもの。

間隔を空けてまた10分考えると新たな視点で考えられることも多い。多面的に考えると答えが見える角度を発見する確率も高い。

 これ、一度考えにハマると延々と考えてしまう癖がある私には今まででいちばん効果的な方法だったのですよ。

 因みに頭や心の疲労は運動などして体に重点をおいて「頭・心・体」のどこか一点に集中させずまわしていけばいいそうですよ。よく聞く「お散歩中に閃く」とかまさにそれよね。

 

そこに答えがあるのかどうか

「あの人は私をどう思っているのかしら」など、恋の悩みも切なくも甘いものですがそれも考えすぎるとただ悶々と悩んでしまうだけ。

これも恋の醍醐味としてとっても楽しいひとときですが、段々と、せつないため息でなくただの悩みになってしまっているのならば頭に浮かんだら10分だけルール、いかがでしょう。

そもそも恋に限らず対人で、ましてや一定の距離があるような人を「相手が自分をどう思っているのか」「あれはどういう意味なのか」なんてこちらがひとりで考えても、相手自身のことだから答えはなかなか出ることがないと思う。だから人間関係は悩みが多いんですね。

悩み多き人へ。こんな方法もありますよ、というお話でした。

 

 

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

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