改めて自分なりのモノゴトの基準が見えてきました
よっしゃ最小限で自由に生きてみるぜ!時間確保だ!と始めてから今迄以上に参考のための情報収集でミニマリズム志向の方々のblogや書籍を読みあさっていました。
ザ・典型的 形&マニュアルから入るやつです。
先人の情報を得て良さげなのを実行しそれを取捨選択し日常に落とし込みます。
読みあさってたところ結構色んなバリエーションがあるんですね。
価値観によるから当然っちゃ当然だけど、実際必要最小限の基準が幅広過ぎる。
トランクいくつぶん以内じゃないと必要最小限ていわないの?
寝袋生活?あれこの人は部屋超充実してる。
なんで大事だったものも頑張って捨ててるの?モノが少なければ少ない方がいいの?
あれ必要最小限とシンプルライフのくくりは?その定義って誰が決めたんだ?
そもそも目的の時間はあっさり手に入れたし、まだそのくくりに囚われる必要あったっけ?
とグルグルしてしまいました。
とにかくまず気になってた不要かもしれないものを捨てていこう、と家にあるものを捨てることに集中してましたが
ふと「モノを最小限まで減らす」ことが目的になっていたことに対し冷静になったわけです。
時間の効率化以外になんの為にモノ捨ててるんだっけ?
モノを捨てるのを目的化するなら断捨離ブームにのったときと同じじゃないか?と。
ミニマリストを目指すこと自体がここ一ヶ月の自分の目標でありノルマになっていたんですね。
また自分で自分に課したノルマです。 そしてその基準もまた周りの情報に流されるまま1ヶ月過ごしていました。
ミニマリズムを意識し始めたこの一ヶ月で得たコト2つ - "ちょうどいいsize"をさがす旅
捨てるモノ、残すモノの自分なりの基準ができました。
私にとっての愛情の掛け方はきちんとメンテナンスをすること。
愛情のあることにはモノでも人でもきちんと向き合い手間や時間を惜しまず投資したい。
でもそれをすることを自分が負担に感じたら意味がないから負担に思わない範囲内。
出来る限りメンテナンスして大事にできるものだけそばに置いておきたい。
そしてそれは今の私には数多く持てないし、持つ必要性も感じてない。
この範囲が今の自分の基準になり、結果やはり大切に出来る必要最小限でいいなと改めて思いました。
例えるなら手の届く範囲内で全然充分。ただし腕の中にあるものはしっかり大切にします。
まとめ
20代半ばまではずっと違う人間になりたかったかのようにひたすら変化を望みばく進していたためモノでも人でも消費していくものだと思って過ごしていました。
いる場所や環境が変われば必要なことが変わり、新たな何かを最大限に吸収するには出来るだけまっさらに戻るのが効率いいと思います。スポンジも何も含んでいなければどんどん吸収できるのと同じ感覚。
何にも執着心がなかったのでそういう考えだったのですが、一方で何かを大切にしている人が羨ましくて仕方がなかったのもありました。
でも大切にするやりかたがわからなかったのでそのままいきましたが、ここにきて自分のなかで大切にする基準が目の前に出てきたのは大きな進展だと思ってます。
ミニマリストの方のなかには持つなら執着せず捨てられるモノを最小限に、という考えの方も結構いらっしゃると感じてますし、私のこの基準はミニマリズムなのか?とか考えましたが
「執着したり大事にしてこなかったやつが大事なものを大事にできる範囲で持つ」のも色んな考え方のうちのひとりの必要最小限の基準で別にいいじゃない、とおもいます。
「ミニマリスト化」を目的化になっていたがそうではなく、自分の望む人生のツールのひとつとして結果「ミニマリズム」の考えも取り入れてく。
このように変わりました。
ていうわけで先日持ってるニットをブラッシングで目を整え、毛玉をとりスチームアイロンを布越しにかけてふっくらさせまくりました。
結構時間かかったけど、充実した時間でした。
そして「そんな手間かけるほどでもないな」と思ったニットはささっと処分いきか部屋着へ。
持ってる数を少なくすることにフォーカスするよりも、こっちのほうが私の望む道を辿ってるなと実感してます。