大豆製品のあたまの中。

気づきや学び、考えてること。頭の中にあるもの。

過去の虐待に、まだ苦しみ続けている方へ。同じ経験者による、ほんの少しだけ心が軽くなる方法 ①はじめに

おはようございます大豆製品です。いいお天気ですね。

 

これから、少しずつになりますが、私と同じく虐待被害者の方に向けて、心をほんの少しだけ軽くする方法をご紹介していこうかと思います。

なぜ「ほんの少し」なのかというと、私自身がまだ癒えていないから。

そもそも完全に癒えることなんてありえるのかしら、なんていうのが正直な気持ちです。

多分、同じ経験をなさった方なら同じことを感じていると思います。

 

過去記事に書きましたが、この15年間、恐怖心や恨み、自己嫌悪など、複雑な感情を抱えながらそれをどうにか解決することを目的に生きてきました。 

過去記事でも書いてある、足首に絡み付いている手の感覚は、今なお現在進行形であります。

それではなぜ、今この記事を書こうと思ったのか。

視点を変えたことで、ほんの少し、心が軽くなっている自分を確信したからです。

きちんとした意味でこれから自分のために生きていこうと心から思えたこと。

初めて、前向きにこの先の人生を生きていく決心が付いたことに気がついたので、心が少し軽くなったんだなと気づいたからです。

 

私はずっと、人生は苦行だと思って生きていました。

解決すべき問題を、今世で解決するためだけに存在するのだと。

そうでないならば、何故こんな経験を私にさせるのか。

ということを小学生の頃から思っていました。なんて冷めた子どもだったのか。

 

 

当事者にとって重要な問題は、まるで抜け道のない大きな壁のように立ちはだかって見えるものです。

なぜなら視点が近いからだと思います。でも、そんなの当たり前だと思うの。

カウンセリングや自己啓発にはよく「受け入れる」とアドバイスが書いてありますね。

皆様も何度か向き合い挑戦して、そして受け入れられない自分に対して「自分はダメだ...」という経験があるかと思います。

もちろん私も数えきれないくらい挑戦し、受け入れるなんて綺麗事を言うなよ、というかその方法が具体的に知りたいんだよ、と散々悪態つくという無限ループでした。

正直言って、受け入れられるくらいの事態ならばもうとっくに出来てると思うの。

そんな簡単な内容じゃないからみんな長年苦しんでるんだよ、とまたしても悪態ついてしまいます。

 

社会的地位や欲しいもの、好きなことをできる時間、愛してくれる恋人など、私からしたら全て手に入れたように見える40代、50代の方でも、虐待の過去に囚われ続けて心の根底では苦しんでいる人とたくさん接してきました。

そしてそんな方が口を揃えて言う言葉が、

「理解者がほしかったんだ」。

理解は、同じような経験者でしかできないと思っています。

だから同じ匂いを感じて、私に心の傷をこぼす方が多かったのだと思う。

前職はマッサージでしたが、ほぼお話を聞くことが仕事内容と言っても過言ではありませんでした。

そしてその経験が、少しずつ自分を客観視できるようになりました。有り難い話です。

 

過去は変えられません。

過去によって心の傷を負った事実も変えられません。

当事者が一番理解していることだと思います。

でもだからこそ、過去は変えられないからこそ、救う手立ては視点を変えてみることにあると思いました。

そして、そのことにも皆さん気づいてますよね。

でもじゃあ、どうすれば視点を変えられるのか。

どのような視点で見たらいいのか。

それがわからなくて、私はずっとその方法を探していました。

 

私も、様々な方法で長年この問題解決に挑んできました。

その中で、カウンセラーの話より、自己啓発の話より、ブログで見た経験者による実体験が気付きのきっかけになりました。

自分に置き換えて考えやすいからですかね。

そういうわけで、今までリアルでも誰かに詳細を語ったことは少なかったですが、顔が見えないこのブログの「大豆製品」というダサイ名前でなら届けられるかと思い書いていくことにしました。

恩返しならぬ、恩送りをしようかと思いまして。

 

虐待や他、重い話をリアルで詳細をあまり人に話せなくないですか?

そして、同じ経験者の話を聞く機会も少ないですよね?

私はあまり話しません。特に詳細は。相手が困ってしまうと思うからです。

現在進行形ならまだしも、過去の重い出来事を例えば臨場感たっぷりに話したとして、相手は共感、同調する、励ます以外に何ができますか?

「何も助けてあげられなくてごめんね」という言葉を何度か受け取りました。

自分の胸のうちを見せられるような大事な相手を、困らせてしまいたいわけでも、申し訳なく思わせたいわけでもないのです。

そのことで話してしまったことに対して申し訳なく思うので、話す際もほぼ濁して話しています。

話すのは、当時をそのまま知っている人か、解決法を教えてくれそうな人です。

あと、あまり知られたくないというのも本音でありました。

「可哀想に。辛かったね」という目で見られるのは私にとっては悲しいことでした。

だって、自分の過去が可哀想だというのは、自分が一番思っているわけですからね。

 

 

このシリーズは少しずつ書き続けていきたいですが、なにより書くのがいつも以上にすごく時間かかるので、徐々に、少しずついきたいと思います。

次回の②では、私の過去の虐待体験について書く予定です。

虐待とひと言で言っても色々あると思うし、他の人はどんな体験をしたのか同じ経験者なら聞いてみたいと思うので。

それでは、素敵な休日を。

 

 

 

 

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