真性アリ地獄女の話をしよう
前回の続きです。
アリ地獄女とは?前回のおさらい
共依存(きょういそん、きょういぞん、Co-dependency)とは、自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す[1][2]。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である[3]。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする[4][2]。
大事なところは
『相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする』ところ。
この記事を書こうと思った理由
- 共依存タイプは時間が解決してくれるわけじゃない
- むしろ年齢を重ねるたびに凝縮され濃度が高くなる
- 相手を依存させ支配していても結局心が満たされるわけじゃない
- 悪気も無い。勿論自覚ないから注意や話聞かない
- 本人は自分はまともで、被害者で、可哀想な頑張りやだと思ってる。
- つまり周りがストレス受ける
- =周りは距離置く。結果共依存度高めるの負のスパイラルから抜け出せない
以上のことを改めて、そして心底確信したから。
悲しいのは本人は真剣に、貪欲に幸せを求めていること。
でもその道にあなたの渇望するものは本当にあるのか?と考えてほしい。
相手に依存し、依存させ、支配者にまわる安堵に酔う前に、
自分の本心と行動による結果を見つめ直す時間を作らないと自分の今歩いている道がどこに続いてるのかわからないよ。
我が母は真性アリ地獄女
私は家族は母親だけです。
この母も例に漏れず、勿論一族の血をがっつり受け継いでいる。
ただ他の女たちと違うのは、この人はうちのベースの妖怪女郎蜘蛛ではなく、妖怪アリ地獄女だってこと。むしろ女郎蜘蛛になりきれず、自分のフィールドを開拓したって感じが正しいのかも。
ゆるゆると地獄にはまった男性は抜け出せない。だってそこは居心地いいから。
地獄に置き去りにされて初めて、自分のいる場所から抜け出せないことに気付くんです。
女郎蜘蛛と共依存のアリ地獄女の比較
どっちもクズなことにかわりはないがうちの親族を見てる限り女郎蜘蛛のがまだ少しマシだと思ってる。
女郎蜘蛛
比較的対する相手との2人で完結しやすい(相手が独身なら、まだ身内に迷惑かけにくい)。
相手が自分の意思で差し出す。
軸が「自分」だから精神的に安定している。
銀座のホステスにこのタイプ多かった。イメージしやすいと思う。
相手のみならず、近い人間にもそれを求める。そのやり方しか成功例がないから知らないんだと思う。
そしてそれを相手が拒否すると、自分の存在を全否定されたと感じ、さらに依存させようと強行突破するか敵と認識しやすい。
本人の意思に関係なく、気付けば共依存の関係になっている。だから命名『アリ地獄女』です。
軸が「自分」じゃないから不安定。不安定だから、依存の循環。
正直若い頃って、特に恋愛においては共依存に陥りやすい可能性が高いと思うの。
それは未熟さ故の精神の不安定さからだと思うし、それについては否定はない。
ただ、これって早いとこ自覚し修正しとかないと、そのままいっちゃうよ。
大人になるに連れ自然と直る、訳ではない。
家族に問題がある、満たされてなかったと自分で思う人は特にそうだと実感してる。
真性共依存者の母について語る
彼女がまだ10代の頃、祖母が彼女たちを捨て男に走った過去がある。
それだけが原因じゃないと思うけど
「愛されているという実感」「私はいらない存在じゃないという実感」を未だに欲していると痛々しいほど感じる。
私は彼女の精神はまだ、その10代のままで時が止まっていると思ってる。
「愛されている」という実感を一番手っ取り早く自覚させてくれるのは男性ですよね。
ほんとに「なんでそこまで?」と疑問に思うくらい、大事にしてくれ守ってくれようとする。
ただ彼女の根底には「唯一の肉親に捨てられた可哀想な私の存在価値」への執着が、祖母への恨みとともにまだ深く根を這っている。
その結果
共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする
に移行していった。
すごいタチ悪いと思うのが、この人もまた男性に不自由しなく、不思議なほど愛され、そして依存させるのがうまい女なんですよ。だから鉄板の成功法として未だに継続している。
いや違うか、そういう人を見抜くのが上手いのかも。まあタチ悪いことに変わりないわ。
これで彼女が男性との縁が薄ければ、私たち親子ももっと違かったと思う。
でも、彼女は60手前の未だに満たされてなかったよ。
だって根底を埋めてないから。
違うもので満たそうとしても、正解じゃないパズルのピースのように、ただ上に被さっているだけで実際はハマってない。
でも自分の欠けてる形を自覚することを恐れているから結局見つかることはない。
何故自覚するのを恐れているかというと、「私は昔と違って今幸せ」と信じたいから。
信じたいけど現実を見るのも怖くて、もっともっとと、不安が消えず求めているんだと思う。
私が思うこと
共依存者は自分の身近な人がその対象になる。
その最たる者が自分の子供だと思う。
特に私たちは2人きりなので、彼女の執着には凄まじいものがある。
私の生い立ちにも関係あるけど、そのあたりは割愛。
前回「女性に、共依存タイプの人は結局本人も周りも幸せになりにくいと思うから是が非でもそうならないでほしいと心から思う」と書きました。
昨日まで、母と母の彼氏含めて旅行してきて久々に彼女と2人で向き合って話す時間がありました。
「あいかわらずクズな女だな」と再確認した結果だったけど、
それでもなにより彼女があまり幸せそうじゃなかったのが悲しいと思った。
彼女が望んで手に入れた共依存関係は彼氏との間で強固に結びつき、
彼の精神も生活の安定も絡めとり自分のアリ地獄の穴の深い深いもう見えないところまで落とし込んで、
これって共依存の完成系なんじゃないの?て思う程の見事な仕上がりっぷりなのに、結局彼女は変わらず根底は情緒不安定のままでした。
正直自業自得だろって思うけど、やはりそんなんでも唯一の肉親が未だにその状態を抜ける気も自覚もなく、話も何も聞く耳持たないのが本当に悲しいことだと思いました。
そんなわけで、
「共依存は絶対やめといたほうがいい、もし今そうなら早いとこ抜け出さないと手遅れになったら遅いよ」
って伝えようと思って我が一族のクズっぷりを恥ずかしながら例にあげて書いてみました。
道徳的なことを説く気はないけど、やっぱり歪な器にいくら水を注いでも満たされないよ。
それでも貫くならば、多くを失うことを自覚したほうがいい。
私は「彼女」と人に話す時使いますが、それは母親だと思ってないからです。
彼女が「母親」より「女」として生きてきたこと、彼女の共依存性質で幼少期から長い間本当に様々な思いや経験をしてきたので、当然のことだと思う。
彼女の歪な器から流れ出てしまった水の中には、彼女が執着してる一人娘もいたってこと。
なんとも散々な話だと我ながら思う。ふたりだけなのに。