女優の夜
生と性の話。えらいもんを読んでしまった、と序盤で思った。Twitterでは書ききれないので久々にブログを開いた。
すっごいイライラしながらも疾走感と表現力に引き込まれ一気読み。ひりつくような文章。これ本当に荻野目慶子さんが書いたの?本当ならそりゃ堕ちるわ…て感想。あまりに感性が鋭く過敏で、恐い恐いと口では言いつつ好奇心と愛が勝る人。
この方は死に取り憑かれ、半ば魅了されていたのだと思う。抗えない大きなエネルギーである死に。だから彼等と共鳴し合ったのだなと思う。身体を燃やし、魂を燃やして膨大なエネルギーで作品を作っている映画監督に魅了され、その死の前に跪きたいのだと思った。
私はずっと、知りたいと願っていた。
自分が女性であることを。
女性であると感じることを。
女に生まれついたことの最高の喜びを、知りたいと願った。
3月からの私は「官能とは」がテーマのひとつだった。だからこの本を手に取った。
官能とはゾクリとするものだ。太陽に向かって躊躇なく迷いなく伸びている大輪の野生には官能を覚えずただひたすら感動するが、生け花で活けられている花たちには官能を覚える。何故だと考えたら、多分、まるで籠の中に入れられた鳥のようだからかと思った。例えば上質な肌触りのシルクなどにも官能を覚えるが、彼女の欲する官能は女の部分に基づくものがメインなのだろう。
学生時代に目にして彼女の恋愛観を決定したというクリムト。その中でもこの「接吻」に対しこう述べる。
私は男性の元に跪きたいと願った。
これは体だけでなく、精神的にも、だ。
私は男性を崇めたかった。屈服したいと思った。そうなってこそ初めて、私の夢みる官能の世界が訪れるのだ。
私は常に変化を求めていた。
自分が自分でなくなるくらいに変わる力を。
この部分がこの本の中で私はいちばん印象深い。彼女は、とにかく跪きたいのだ。男性や命に。ここまでエネルギーが強い女性が跪く相手は、それは彼らになってしまうわ、と必然的な説得力がある。この本すべてにおいて説得力のある言葉。それにしても、同じ絵でも人によっての感じ方の違いが大変面白い。
この本の中で、彼女は繰り返し「わたしは小さいから」と聞き飽きるほど書いている。身長のことで彼女はコンプレックスだと書いているのだが、こちらにはそれをちょうどいい言い訳にしているのだと捉えられた。「わたしは小さい存在だから、本当は嫌だけど死や大きなエネルギーの存在に巻き込まれてしまうのよ。それは抗えないことなの。だって小さな私にはどうすることができる?」と。
それが無性にイライラするのだが、それは私も自分のコンプレックスを最大の言い訳にしていたからなのだ。「わたしは不幸な生い立ちなのよ。ただひとりの親に虐待もされてきたし幼少期から性的被害にあってきたの。だからあなたたちから奪ってもしょうがないでしょう」と。
結局不幸自慢なのだ。不幸を盾に言い訳をしているだけなのだ。だから、の接続詞が意味をなしてない。
彼女も不倫で哀しみ、死に怯えたのにその火照りが消えぬまま、また同じく「監督」と不倫する。そして死に怯えるのだ。わたしは小さいから、と何度も繰り返しながら。
また他にも「運命」「宿命」「偶然が重なり」も言い訳だ。例えそうであっても、選択したのは自分だ。私がイラつきながらも夢中で読み進めてしまっていたのは、多分こういう自分も散々言い散らかした言い訳を、反面教師のように胸に刻んでおきたいからだと思う。刻まないと、私もこの楽な渦にすぐ身を投げてしまうから。
ブラックホールのような人だと思った。身長は小さいかもしれないが、持ち前のエネルギーと引力がとても強いのだと思う。じゃなきゃ、彼らと永く渡り合えない。そのアンバランスさにご自身が気付かれてなかったのがすべての始まりかと思うが、エネルギーの乱暴さにご自身も翻弄されていたのだと思った。
ここまで書いたが、しまった、と思いながらも彼女にすっかり魅了されている自分がいる。
こんなにひりつく文章を、生々しく臨場感を持ちながら美しく表現できる人が他にいるのか。しかもご自身のことだ。あまりに深すぎる業を曝け出す勇気にも感嘆したが、何よりそれを多分すごいことだと思っていなく、ただただ純粋さから出たものだと思うと痺れる。この本には彼女の愛の深さが溢れている。とても業が深く、また同じくらい深い愛をもっている人だ。闇のような黒と透明に近い白を無自覚に共存させている人。もっと彼女の文章を読みたい、彼女の感性にもっと触れたいと思うが、著書はこれだけなのが残念すぎる。
愛するとは、特殊だと感じること。
特殊なまま朽ち果ててゆくことを知ること。この体が。
この言葉が、彼女がたどってきた「愛の姿」のすべてだと最後のほうに記してある。これに関してどう感じます?私の、そしてあなたの「愛の姿」は何だろうか。最後まで投げかけてくる食えない本だ。またしても、えらいもんを読んでしまった、とため息混じりに思った。ようやく読み終えられてホッとしている。
最後に、深作監督にとって愛の歌だという、アーメリングの『水の上で歌う』を。この本のおかげで関心の伸び代が広がったと思う。でも太宰治には一切手をつけないでおこうと心に決めた。
『水の上で歌う』Auf dem Wasser zu singen D774 Franz Schubert