感覚や表現
本当にたまに、しかし定期的に小説やエッセイを物凄く欲する時期がある。それも無意識に選んでるのはいつも、女性作家のものばかりだと気づいたのは最近のこと。
まさに今そのモードにはいっていて、せっせと図書館に通ってはめぼしいものを数冊借りて読み耽っている。こういう時は図書館に入り浸るのが鉄板。何故ならサイズも重さも捲るという所作も、小説とエッセイは文庫本がいちばんしっくり味わい深いと自分のなかで決まってるのです。
特別好みじゃないなぁといつも思っちゃうのだけど、それでも懲りずに毎回借りてしまうのが江國香織さんの本。なんなのだろうこの習性。正直毎回ちょっと後悔するのだけど。
江國香織さんの本を見るたびにいつも、映画「東京タワー」の黒木瞳さんの声が頭に流れる。きっとそれに誘われてふらふらと手に取ってしまうので、いや女優さんて本当すごいよねー。なんて話が逸れてしまった。
なんていうかこう、日常にふと飽きてしまうときってあると思う。
自分のなかに、言葉にすると形づくられるという確信めいた感覚がある。現在の引き出しのままだと流れとともに薄れてしまうため、定期的に違う表現や言葉を補給したくなる。穏やかな日常に満足しているけれど飽きちゃうの。物理的な変化はいらないけれど表現的な変化が欲しい。だって言葉にすると形づくられるでしょ?
てことを私は真顔で思ってるのだけど、「ふーん?」て反応が大半だ。過去に、「自分にとって音楽がそれだ」というひとがいた。写真がそれかもというひともいた。そういえばわたしもそれらに対して、そういう目線もあるんだと思って「ふーん?」て返してた気がする。ひとの感覚や表現って其々でおもしろい。